転校生(1)




 古来より、ソレは歴史の影で何度となく人々を恐怖に陥れてきた。
 人でありながら人でない者。
 生血を吸って、今なおも生息する存在。
 それが・・・ヴァンパイア。



「どう? 面白そうでしょ」

「どうって言われても・・・」

 ホームルーム前の朝の教室。次々と登校してくる生徒で教室はいつものように賑やかだ。
 その教室の後ろの席で女生徒二人はたわいのない話に花を咲かせていた。
 しかし、そう見えるのは外見だけで、実際はとても年頃の女の子がするような内容ではない。
 その中の一人の女生徒・広瀬浅緋は返答に困っていた。

「ヴァンパイアって言われてもねぇ。小夜はテレビの見過ぎなんだよ」

 溜息をついて頬杖を付く。さらりと長い髪が机の上に流れた。

「もう。浅緋ってば、ロマンがないんだから」

 小夜と呼ばれた女生徒は憤慨したように腰に手を当てた。
 内山小夜。浅緋が高校で知り合った友人だ。肩の辺りで揃えられ学生らしく二つに分けて括られている髪が真面目な彼女の性格を表していた。
 一見普通の女子生徒だが、一つ難を付けるならばちょっと趣味が他人と違うところにあることだ。
 彼女はオカルト系が大好きで、人を捕まえてはグロテスクでホラーな話を持ちかけるのだ。
 前にニヤニヤと楽しそうな顔をして分厚い本を読んでいるので声を掛けたことがある。
 世界の怪奇現象を分析した話であり、心霊写真を乗せてあるページを見せられて夢にまで見たこともあった。
 この一風変わった趣味が災いして入学当初は嫌な噂が流れたこともあった。
 しかし、話してみると彼女は話好きの明るい性格で、その系統にあまり興味を示さない人にも思わず耳を傾けてしまうような話術と面白い話をたくさん持っていた。
 今も昨夜見た心霊番組を話のネタに朝からずっとしゃべりっぱなしだ。
 反応の薄い浅緋に怒っている風を装っているが、本気で怒っているわけではない。彼女はただ自分の話を聞いてくれさえいればいいのだ。
 浅緋もそれは分かっているので、毎回大人しく聞いていた。
 話を聞くのは嫌ではない。むしろ楽しいとも思う。しかし、浅緋は小夜とは違って、ヴァンパイアだの狼男だのそういったものの類は全く信じていない。話や考え方としては面白いと思うのだが、現実的に考えてありえないと心の底で考えてしまうのだ。

「もしかしたら近くにもいるかもしれないよ」

 目を輝かして話す小夜に、

「そうかもね」

 浅緋は軽く相槌を打った。

「よっ! 何か盛り上がっているみたいだな」

 割って話しかけてきたのはクラスメイトの片山愁である。
 浅緋にとっては家が隣同士の幼馴染。頼れるお兄さんといったところだ。小・中・高と同じ学校で、二年では同じクラス。これはもはや腐れ縁とっても過言ではない。
 愁の手には何故か机と椅子が抱えられている。「よっこいしょ」と親父くさい声と共に愁は浅緋の隣に机を下ろした。

「おはよう。片山くん」

 小夜が新しい獲物を見つけて目を光らせる。
 愁も小夜の趣味のことは知っているので、その瞳の輝きから怪しい気配を察し、話を持ち出される前に自分から話を振ってきた。うまい扱いに思わず感心してしまう。

「面白い情報を手に入れてきたぜ」

「面白い情報?」

 小夜は話ができなくて残念そうに眉間に皺を寄せたが、面白い情報と聞いては聞かずにはいられない。
 浅緋も気になって次の言葉を待った。
 何にせよようやく小夜の話から解放されるのだ。学校に来てからずっと聞き役に回ってた浅緋にとっては、何でもいいからとにかく次の話題に移りたかった。

「今日うちのクラスに転校生が来るらしいんだ」

 愁は持ってきたばかりの椅子に腰掛け、もったいぶったように間を空けてから話した。
 自分のことでもないのに、その態度はどこか自慢げだ。
 予想以上の話題に小夜と浅緋は声をあげる。

「ウソ、ホントに?」

「この時期に珍しいね」

 今は新学期が始まって二ヶ月ほど過ぎた頃。確かにこんな中途半端な時期に転校生とは珍しい。
 浅緋も小夜も信じられないと愁を疑わしそうに見る。期待通りの反応に満足そうにしていた愁も、視線に気付いて慌てたように 身振り手振りで必死に伝えた。

「ホントだって。さっき職員室で見てきたんだ。それに、ほら。ちゃんとその転校生のために俺自ら机と椅子を運んできてやっただろ」

 ポンと座っている机を叩く。
 職員室に用事で行ったはいいが、ついでに運んでやってくれと担任に捕まったらしい。そのための机と椅子だったのかと浅緋と小夜は納得した。

「それで、男の子? 女の子?」

 そこはやはり年頃の女子高生。最も重要なポイントだ。
 小夜の目はキラキラと期待に溢れていた。
 男として敗北感を感じ、ふて腐れながら愁は答える。

「残念ながら、男だよ」

「やった!」

 希望通りの答えに小夜は小さくガッツポーズを決める。

「浅緋は喜ばないのか?」

 嬉々として喜ぶ小夜を他所に浅緋の反応はいたって薄い。情報を持ってきた身としては、もう少し反応がほしいところだ。

「私は別に男の子でも、女の子でも関係ないし」

 そう答える浅緋を小夜は信じられないという目で見た。

「浅緋はホントにロマンスがないな。やってくる謎の転校生。普通の日常に突然起こるサスペンス。迫り来る危険の中でいつしか二人は恋に落ち、最後はもちろんハッピーエンドよ」

 小夜は指を絡ませ、どこか遠くの方をうっとりと見つめた。

「う〜ん。そんなうまくいくかな」

 乙女思考など皆無の浅緋は、怪訝そうに首を傾げた。

「でも、転校生が来るってだけで十分刺激的だよ。かっこいい人ならもっといいけどね」

 好みの男性でなければ始まるものも始まらない。その点はしっかりしているんだなと半ば呆れながらも相槌を打った。

「そうだね。確かにかっこいい人ならいいな。目の保養にはなるよね」

 まだ姿も見ていない転校生を勝手に想像しながら話す女子生徒二人を愁は面白くなさそうに見つめた。

「あのよ、忘れてみてぇだから言っとくけど。一応目の前にもいるんだよね。かっこいい男子が」

 その時、予鈴のチャイムと共に担任の江原が入ってきた。
 どうやら転校生が来るという情報を持ってきたのは愁だけでなく、どこからか噂を聞きつけた生徒たちはいつも以上にざわついていた。
 愁と小夜も自分の席へと戻る。愁は不満を言いながら。
 全員が席に着くのを待ってから、委員長による号令によってホームルームが始まった。
 江原が今日の予定や連絡事項を話す。が、すっかり転校生の話に夢中になっている生徒には全く聞き入ってもらえない。
 途中で江原も諦めたらしく、話もそこそこに帳簿をパタンと閉じた。

「あー、みんな知っているようだが、ここで転校生を紹介する」

 それを聞いて、待ってましたとばかりに教室は歓声を上げた。
 生徒たちの態度の違いに呆れて一つ溜息を付いてから、

「入ってきなさい」

 と、ドアの方に声を掛けた。
 教室が静まり返り、全員視線がドアに集中する。
 一瞬の間をおいて、ドアがカラリと音を立てて開いた。
 入ってきた転校生を見て全員が息を呑む。浅緋もその圧倒的な存在感に目を奪われた。
 夜を思い出すような漆黒の髪に、それと同じ瞳。キリッと前を見据えた瞳は強い意志が現れている。
 容貌も下手なアイドルよりずっといい。顔のパーツはそれぞれあるべきところにあるという感じで非の打ち所がない。大人び た表情からは同年代にはないような艶めかしい印象すら覚えた。
 体格も華奢なように見えて、その服の下には程よい筋肉があるように感じられる。
 しかし、圧倒されたというのは容姿だけではない。彼はどこか人とは違う独特の雰囲気を持っていた。
 無意識にそれを感じ取っているのだろう。誰も彼から目を離すことができずにいた。

「自己紹介を」

 江原の声にではっとする。
 男女関係なくクラス中が彼に見とれていたのだ。
 転校生は頷くと形のいい口を開いた。

「藤宮一希です。どうぞよろしく」

 ありきたりの短い挨拶なのに、少し低めの声はとても心地よく耳に響いた。
 軽く一礼して教室をざっと見渡す。その瞳が浅緋を捕らえた。そして少しだけ目を細める。

(あれ? 今、目が合った)

 きゃあっ」と各所から女子生徒の声が上がる。ある者は頬を染め、ある者は自分と目が合ったと隣の者に自慢をしたりする。

(気のせい?)

 浅緋は目を逸らしたが、心臓はドキドキと音を立てている。
 そして同時に懐かしさを感じていた。
 この感覚を知っている。そんな奇妙な考えが頭に浮かんだ。

「席は・・・そうだな。広瀬の隣が空いてるな」

「えっ!」

 顔を上げると、江原が浅緋の隣の席を指差していた。
 浅緋の隣には先ほど愁が持ってきた机が置かれている。

「じゃ、広瀬。隣の席って事でいろいろ面倒見てやってくれ」

「分かり、ました」

 浅緋は返事をしたが、どうにも気が乗らなかった。
 一希は指示通り空いている席へとやってくる。狭い通路を進む姿も軽やかだ。
 教室中の注目を集めたまま席に着く。
 そして浅緋に顔を向けると、愛想よくにっこりと微笑んだ。
 再びどこからか悲鳴にも似た声が上がるが、本人は気にも留めていない。

「ヨロシク頼むよ。広瀬さん?」

「う・・・ん。よろしく」

 内心愁に毒づきながら、浅緋はたどたどしく答えた。初めて会った人に馴れ馴れしく話すことはできない。
 ついでに言えば、クラスメイトの視線、特に女子からの圧倒的な視線が痛い。

「変わっていないな」

 ポツリと一希が答えた。

「え?」

「いや、何でもない」

 一希は首を横に振った。

「あの、忘れていたらごめんなさい」

「いいんだ。あの記憶は思い出さないほうがいい」

 最後の方は聞き取れないほど小さな声だったが、浅緋にとっては何と言ったかということより視線は逸れたことに息を付いた。