これより少し前のこと。
(一希も浅緋もどこ行ったのかなぁ)
小夜は一人で校内を探していた。
遅れて教室を出た小夜は二人が保健室とは違う方向へと向っていることを知らなかった。
先に保健室までたどり着き、誰もいないことに気付くと途中で何かあったのではないかと校内を見て回ることにしたのだ。
結局見つからず、もう一度保健室を覗いたら教室へ戻ろうと考え、再び保健室へとやってきた。
すると誰もいなかったはずの室内から微かに話し声が聞こえる。
何を話しているのかよく聞き取れないので、ドアの隙間からそっと覗いてみた。
見えたのは椅子に座っている浅緋と一希の姿。
二人がいると分かって小夜は中に入ろうと取っ手に手をかけた。
しかしその手が止まる。
(・・・っ)
小夜は見てしまった。
一希が浅緋の手を取り、指を舐めているのを。
浅緋が怪我をした事を知らない小夜は、その光景がとても厭らしいものに見えた。
見てはいけないものを見てしまった罪悪感からか、はたまた好きな人と自分以外の女性が一緒にいるということへの嫉妬なのか分からないが、小夜の心はギュッと締め付けられた。
この時小夜は初めて一希が好きなのだと自覚した。まだ会って間もないのにどうしようもなく心が奪われた。
自分の惚れっぽさに戸惑う小夜の耳に足音が届く。
足音はだんだんと大きくなり、こちらへ近づいてくる。小夜は思わず物陰に隠れた。
現れたのは保険医の佐藤。
佐藤は中の様子に気付かず、室内へと姿を消した。
今のうちに教室に戻ろうかと迷っていると入れ違いに一希が出てきた。
一希はドアを閉めると、はぁっと息を吐きそのままドアにもたれかかった。
息をついたその表情に小夜は胸を高鳴らした。
わずかに高揚した頬。
虚空を見つめる瞳。
唇から漏れる熱い吐息。
男の子とはこんなに色っぽいものだったかと小夜は思った。同級生の男子とは明らかに違う。
がさつで元気ばかりが取り得の彼らとは違って、一希からはその容貌から妖しさすら感じられた。
だが、その表情をさせたのは浅緋であることもわかっていた。
浅緋同様、好きな人の好きな人が分かるという女の勘だ。
確かに浅緋は女の自分から見ても可愛いと思う。男ならなおさらだろう。
現に浅緋は何人にも告白されているし、告白しないまでも思いを寄せている男子生徒は多い。そのことに対して嫉妬を感じたことはなかった。浅緋は大切な友達だと思っていた。
でも、今初めて浅緋に嫉妬していた自分に気付く。
本当はずっと羨ましかったのだ。
優しい幼馴染がいて、容姿にも恵めれていて、何もかも平凡な自分とは違う。
今だって何かと一希に構ってもらっていて。
(なんでいつも浅緋ばっかり―――)
今日初めて会った一希相手にこんなにも恋をしているのはおかしいことだろうか。それでも好きだという気持ちは止められない。
そろそろ一希も去っただろうかと覗いてみると、一希はまだドアの前から動いていなかった。
隠れてしまったため出るに出られない小夜は、体制を整えようと少しだけ体を動かした。
すると体が立てかけてあった箒に触れてしまい、カタリと小さな音を立ててしまった。
一希がそれを聞き逃さず、こちらを見る。空気が一気に緊張した。
隠れ通すこともできず、仕方なく小夜は物陰から姿を現した。
「お前」
現れた人物に眉をひそめる。
ピリピリと電気のようなものが空気を通して小夜に伝わった。それは錯覚かも知れないが、一希が今の状況を好ましく思っていないなのは明らかだった。
「あの・・・私」
悪いことをしたわけではないのに、何故か口ごもってしまう。
「見てたのか?」
「何を」言われなくても分かる。その光景を思い出し、小夜は視線を逸らし顔を赤くした。
一希は足を踏み出した。そして歩いてくるスピードのまま一希の唇が小夜のそれに重なった。
「・・・んっ」
いきなりの口付けに、戸惑いながらも夢中になる。
足がガクガク震え、力が抜ける。
唇が離れると、吐息を吐いた。体が熱い。
小夜はとろんとした目で一希を見つめたが、一希は眼差しは以前鋭いままであった。
「黙ってろ」
命令形の短い言葉。だが間近で聞く低い声に、小夜はますます顔を赤くしてコクコクと頷いた。
それを見届ける一希は教室へと続く廊下を歩き始めた。
小夜はそれを黙って見つめていた。
心臓は早鐘のように鳴っている。
これが恋というものなのだと改めて感じた瞬間だった。
浅緋が教室へ戻ると、そこにはいつもの授業風景があった。
帰ってきた浅緋に視線が集まるも、それは少しの間のことだけですぐに授業へと戻る。
浅緋は自分の席に戻ると、チラリと隣の一希を見た。気が付かないのか、気付いていて無視しているのかこちらを見ようともせずに授業に聞き入っている。
まるで先ほどのことは何もなかったかのよう。
浅緋も追求などせずにノートを広げ授業を受ける。
しかし、なかなか集中することはできなかった。ごちゃごちゃした言いようのない感情が胸に広がる。
それに、先ほど垣間見えた光景。
何か、いつもと違うことが始まった。そんな考えが頭から離れなかった。