夏が近くなったせいか、日は随分と長くなった。木々は青く、空は高い。
住宅街なので目に見える殆どのものがコンクリートやアスファルトだが、それぞれの家庭が趣向を凝らして造っているガーデニングの草花で夏の到来を知ることができる。
長く伸びる影を引き連れて愁は宣言どおりコンビニの方向へ向かっていた。
しかしコンビニを目の前にして愁は大きく左に折れた。
行き着いた先は住宅街にある公園。遊具は滑り台と砂場しかない規模の小さな公園だ。
それでも子供たちにとっては数少ない遊び場だ。誰かが忘れていったのか砂場にはスコップとバケツが置き忘れていた。
その公園の車両止め用のU字ブロックに腰掛けている人影がある。夕日を受けて髪がオレンジ色に染まっていた。
人影は愁の存在に気が付くと、その黒い瞳を向けた。
藤宮一希。
愁は一希の数歩先で足を止めた。
「久しぶりだな」
愁は改めて一希の容姿を眺めた。
闇を思い出される黒い髪、黒い瞳。そして人間離れしたその容貌。
変わっていない。七年前のあの日から、その姿は全くと言っていいほど変わっていなかった。
「お前がこいと言ったからきてやったんだ。何だあの女たちは品位の欠片もない」
腕組みをして文句を言う姿は十七歳の高校生そのものだ。
愁はぷっと吹き出すと一希の隣のブロックに座った。
「浅緋はどうだった?」
その質問に一希は表情を柔らかくした。
「変わっていない。いや、美人になったな。でも根本的には変わっていない」
七年ぶりに見る彼女は少女から女性へと変貌していた。優しくて素直で、顔を赤らめているときが一番可愛らしい。
「それで、どうだ? 何か分かりそうか?」
愁は早速本題に入る。
一希を呼び出した理由はそれだった。
「さぁな。昨日きたばかりだ。そんなにすぐ分かったら苦労しない。だが、妙な感じはする。あの学校は臭い」
「はぁ? 確かに古い学校だけどさ、そこまで言う必要はないんじゃねぇの」
的を得ない答えに力なくうな垂れる。
「違う。俺が言いたいのは『血生臭い』ということだ。どこもかしこも血の匂いがする」
学校初日、女子生徒たちに案内されてまず気付いたのがそれだった。
食材を扱う調理室、けが人を扱う保健室ならまだ分かる。だが、学校全体というのは奇妙だ。思い出したのか、一希は眉をしかめた。
反対に愁は一希の嗅覚に感心した。
「へぇ。さすがだな。お前を呼んで正解だ」
へらへら笑う愁に、今度は一希が問いかける。
「一つ聞きたい。お前が今頃僕を呼んだ理由は何だ? その真意は? アイツが来ているという確証はどこにある。僕が見た限り、その痕跡は見当たらない。特に人物に変わったところもないと思える」
愁の笑みが消えた。一希は辛抱強く話し出すのを待った。
長い沈黙があって、ようやく愁は口を開いた。
「俺には守る資格がねぇからな」
愁は持っていた空き缶を見つめる。
それを飲んでいた浅緋の顔が浮かんだ。
彼女は知っているだろうか。自分が随分前に信頼を裏切ってしまったこと。
いや、知るはずもない。あの記憶は消してしまったのだから。
「お前には浅緋のガードを頼みたい」
「七年前の約束だ。果たそう」
お互いに力強く頷いた。
そういえば、と一希が話し出す。
「今日、浅緋の血を舐めた。相変わらず極上だな。お前もよく正気でいられる」
一希がペロリと唇を舐めた。
「・・・そうか」
ぼうんやりと答える。それが気に入らないのか、一希はさらにまくし立てた。
「いいのか? 僕が出てこなかったら浅緋とうまくくっついたかもしれない」
愁は首を揺ると空き缶を数メートル先のゴミ箱に向かって投げた。缶はわずかにはずれ、淵に当たって地面に転がる。
「言ったろ。資格がないって。あれから俺はあいつを守るためにずっとそばにいた。あいつは俺に変わらず笑顔を向けてくれた。それで十分だ。喜べよ。あいつお前のこと少しだけ覚えてたぜ」
愁はまたへらっと笑った。
一希は無言で立ち上がって、歩き始めた。その背中はこれ以上はなすことはないと語っていた。
愁も呼び止めはしなかった。俯いて地面を見つめる。
長い影が俯いた視界から消えていく。
愁は誰もいなくなった公園でしばらく空を見上げてから立ち上がった。
帰り際に先ほどしくじった空き缶が目に留まる。
愁は引き返して空き缶を拾い上げた。
「忘れたくても忘れられないこともあるんだよ」
愁は今度こそ空き缶をゴミ箱に捨てた。