「もう帰っちゃったのかと思った」
歩きながら浅緋は文句を言った。
「そうしたいのは山々だったが、君なら確実に来ると思っていた」
「当たり前よ。それに校門で待たれたら帰るとき通らないわけにはいかないじゃない」
「確かにそうだな」
一希はくっと笑った。
その後はお互いはなすこともなく、てくてくと歩いた。
話をするというより聞きに来た浅緋は一希が行くままについて行き、話し始めるのを待つしかない。しかし、こうも黙り込ま れると、本当に教えてくれる気があるのかと疑問を持ち出し、浅緋はこれからどうしたものかと考え始めた。
黙っていると相手の顔を見ることができなくて、どうしても周りの方に目がいってしまう。そこで浅緋は周りの人々、特に女性が自分たちのことを見ていることに気が付いた。
否、一希をだ。
気付かないわけがないのに、一希はそれを完全に無視していた。慣れていると言ってもいいかもしれない。
「ねぇ、何かみんなこっち見てない?」
これだけ美形の男子が歩いているのだ。視線を集めるのも当然だろう。
その隣を歩いているのは普通の容姿の自分。
周りから見れば何故と問いたくなるような組み合わせだろう。
そう考えると浅緋はなんだか居心地が悪くなってきた。
だが、一希の返答は不可解なものであった。
「そういう風にできている」
「どういうこと?」
意味を測りかねてもう一度問おうとしたが、途中で一希の言葉が被さってきた。
「それで、答えは出たのか?」
その目は真剣で、浅緋は言葉が詰まった。
聞かれるのは分かっていたこと。
答えも用意してきた。
「私は・・・」
浅緋は一つ深呼吸をした。
今から言うことは答えというのほど遠いかもしれない。答えというよりかは自分の気持ちだ。
「私は記憶を取り戻したい。どうするかはそれから決める」
浅緋は真っ直ぐ一希を見据えた。
一希もそれを受け取る。
「本当は誰かのためとかかっこいいこと言えたらいいんだけど。それが一番私の正直な気持ち。ただの我侭かもしれないけど」
「・・・・」
一希は黙って聞いている。
「本当は助けてくれた事件のことより男の子を思い出したいの。だってその人私のことを助けてくれたんでしょ。それなのに私は忘れちゃって、彼だけ辛い思いをさせたくない。辛いことなら一緒に背負って、慰めてあげたい。でも彼はそんなことを望んでいないのよね。やっぱり私の我がままだわ」
浅緋は自嘲気味に笑った。
「答えになってない?」
不安そうに一希を見つめる。
そして息を呑んだ。
一希は微笑んでいたのだ。
沈む夕日に照らされて、その表情は輝いていた。
「驚いた。あなたそんな顔もするのね」
「変か?」
「そうじゃないわ。私はそのほうが好きよ」
一希はふいっと視線を逸らした。照れていると分かった浅緋は微笑んだ。
「恥ずかしい女」
「それはお互い様よ」
浅緋は悪戯っぽく笑った。
「お前ならあいつを救ってやれるかもな。その場しのぎじゃない本当の救いだ」
あいつ。
これまでに何度も聞いてきた言葉だ。
浅緋が記憶をなくすことを望み、一希と話さないと約束した人。
この人物が深く関わっているのだと浅緋は気付き始めていた。
突然、一希が浅緋の手を引いて走り出した。
「どうしたの!」
かなりのスピードだ。必死に走るがついていけず、足が空回る。
「付いてきている」
一希は前を向いたまま答えた。
その言葉に浅緋は後ろを振り返る。
自分たちの後ろに三人、同じ方向に走ってくる人影が見えた。
「三人か」
広い大通りから狭い路地に入る。当たりは薄暗闇に包まれ始めていた。
一希はどんどん人気のない方へ、暗い方へと入っていく。
何故自分たちが追われているのか分からないが、この状況はとてもまずいことだけは分かった。
「ねぇ、助けを呼ぶなら、人がいる方へ行った方が、いいんじゃない」
息絶え絶えに浅緋が叫んだが、一希は構わず先へと進んでいった。
やがて彼らの前に壁が立ちはだかる。
袋小路だ。周りは高い壁。逃げ道はない。
「もう逃げ場はないぜ」
男たちが勝ち誇ったかのように攻め寄ってくる。だが、かなり必死に走ってきたのだろう。ゼィゼィと肩で大きく息をしている。それでも二人を追い詰めたことに正気を感じたのか、声は揚々としている。
思ったとおり相手の数は三人。暗いせいで相手の顔は分からない。
一希は背中に浅緋をかばった。浅緋は恐怖で一希の制服をぎゅっと掴む。
チカチカと暗闇に反応して街灯が点灯した。
薄暗くて見えなかった相手の顔がはっきりと分かる。
若い男だ。
がたいのいい体に不気味な笑みが浮かんでいる。
「何の用だ?」
一希が問うた。
その言葉には全く焦りがや不安が出ていない。
「ああん? テメェには用はねぇよ。あるのはそこの女だ」
リーダー格の長髪の男が浅緋を指差した。
ビクリと浅緋の体がこわばり、制服を掴む手に力が入る。
「藤宮くん」
声が震えている。
(怖い)
これからどうなるのか、想像するのも恐ろしい。
「さぁ、大人しく渡してもらおうか」
長髪男の合図に残りの二人の男が動いた。
左右から近づき、片方に気を取られている間に一人が一希を押さえつけ、もう一人が浅緋を引き離す。
「ちょっと、ヤダ。離して!」
腕を振って抵抗するものの、男の力に女の浅緋は勝てない。
「なんだぁ、男の方は抵抗もしないのか?こんな弱い彼氏持って災難だねぇ」
ひゃはははっと男たちはあざ笑った。
(どうして助けてくれないの?)
男に腕をつかまれながら、懇願する思いで一希を見る。
(あなたはあの男の子じゃないの?)
7年前自分を助けてくれたあの男の子ではないのか。
もう自分を助けてはくれないのだろうか。
「腑抜けはほっといてさっさと行こうぜ。この女一人連れて行くだけでかなりの金が手に入るんだからな」
「でも、ただ差し出すのってもったいなくね?」
「確かにな。結構可愛い顔してるし、ちょっとぐらいの味見はいいか」
男たちの顔が卑しく笑った。
浅緋はゾッとした。
「冗談でしょ!離してよ!」
腕を引っ張るが全く引き抜くことができない。それどころかズルズルと引きずられていく。
絶望が浅緋の顔に浮かんだ。
「ったく、あいつは何やってるんだか」
こんな状況だというのに一希は不満そうに声を漏らした。助けられるはずであるヒロインの浅緋はその態度にイラ立ちすら感じる。
「何ブツブツ言ってやがる!」
男の言葉につい頷きたくなるほどだ。
一希を捕らえていた男がギリッと手に力を込める。
「仕方ないな」
ふぅと溜息をつくと、急に空気がざわめいた。
風もないのに木々がざわめき、ついたばかりの街灯がチカチカと点滅している。
何だ何だと男たちが周囲を見渡す。浅緋も懸命に目を凝らす。
目に見えない、肌に感じるビルびりと電気に似た気配に鳥肌が立つ。
バチッと音がして街灯が切れた。日は既に沈んでいてあたりは闇につつまれる。月明かりもない。
遠くに明かりが見えることから停電はこの周辺だけだということは分かったが、それらの光もここまでは届かなかった。
「うわっ」
一希を押さえていた男が悲鳴を上げた。男は逃げるようにリーダー格の男の隣に立つ。
闇の中に浮かぶ二つの赤い光が浮かび上がった。
獣の瞳を思わすそれは真っ直ぐに男を見据えていた。
さぁっと雲が流れ、隠れていた月が現れる。
月光を背に彼はそこに立っていた。
黒い髪、秀麗な顔立ち。
紛れもない藤宮一希だ。なのに夜を思い出すような瞳は、今は血を思い出させるような緋色に染まっている。
人間にはありえない色だ。
「な、なんだよ」
男が怯んだ。
「残念だったな。時間切れだ」
一希はニヤリと笑った。
口の端からは白く鋭い牙が覗いている。
「夜は俺たちの時間だ」
ざぁっと一陣の風が吹いたかと思ったとたん、一希の姿が消えた。