ふとある疑問が浮かんだ。
「私はどうしてそこにいたんだろう」
そもそも外に出なければそんなことにはならなかったはずだ。
「僕が駆けつけたときお前たちは既にそこにいた」
一希の話を聞いてあの日何があったのかはだいたい分かった。
おぼろげだった記憶もだんだんはっきりしてくる。
「それについては、俺より愁の方が詳しい」
一希は愁を顎でしゃくった。
愁は視線をこちらからは外し、目をあわそうとしない。辛そうな表情が伺える。
浅緋はまず自分の記憶をたどってみることにした。
「あの日、私たちはホテルを探検していた。」
小さい頃の記憶が蘇る。
夜まで一緒に遊べるのが楽しくて、止める親たちを無視して二人で館内を遊びまわった。
久成は昼のうちに遊び疲れたのか、既にベッドで寝ていたので詳しいことは知らないはずだ。
「ホテルを出て近くの公園へ行こうって外へ出た」
外は月明かりに照らされて明るかった。
愁に手を引かれて公園を歩いた。
怖かったが、繋いだ手から伝わる温もりが勇気をくれて二人はどんどん先へ進んだ。
「急に街灯が切れて・・・」
辺りは闇に包まれた。
『愁くん、怖いよ。帰ろう。お父さんとお母さんのいるところへ戻ろうよ』
小さな浅緋は歩みを止めた。
『大丈夫だって。浅緋は弱虫だな』
愁はからかったがその手は微かに震えていた。
『私、怖くないもん』
今思えば子供じみた意地だった。
『じゃあ、俺が手を離しても平気なんだな』
『平気だよ!』
浅緋はパッと手を放した。
「近くの茂みから誰かが飛び出して、私を・・・」
浅緋は自分自身を抱きしめた。
あの時の恐怖が蘇る。
連れて行かれたのは同じ公園の敷地内。そこには既に三人の女性が倒れていた。
辺りは血の水溜りができ、それを反射したかのように付きも赤く染まっていた。
怖くて声も出なかった。
赤い瞳と鋭い牙を持った男が手を伸ばす。
『やめろっ』
浅緋の前に誰かの、愁の背中が目に入った。
それを最後に浅緋の記憶は途切れた。
「俺が悪いんだ。あの時、手を離さなければ。いや、外に連れ出さなければ、浅緋はあんな怖い思いをさせることはなかったのに・・・」
愁は呟いた。
ずっと罪にさいなまれていたのだろう。震える肩で、拳をぎゅっと堅く握り締めている。
「それだけじゃない。俺はお前に嫌われるのが怖くて、助けに現れた一希に頼んで記憶を消してもらった」
愁に真実を伝えることは懺悔なのかもしれない。
今にも泣き出しそうな愁の拳に浅緋はそっと手を添えた。
「愁くんは助けに来てくれた。だから私は今もここにいる」
ね? と笑ってみせる。
「修君が罪悪感なんて感じる必要どこにもないんだよ」
その言葉で愁の中の罪が少しだけ晴れた気がした。
「何か、俺って情けねぇな」
愁は笑った。まだ辛そうな表情は残っていたが、それでも笑っている。
「だいたいの話は分かった。それで、あなたはどうしてここにいるの? あなたがこなければ私は記憶を思い出すこともなかったし、愁くんも辛い思いをしなかったかもしれない」
浅緋は一希を見据えた。
もちろんそれが幸せだったとはいえない。
一希が現れなければ思いだすことも出来なかったし、愁もずっと罪を背負っていたはずだ。
結果的にはこれでよかったと思っている。
「なかなか聡いね。話にはまだ続きがある。何はともかくヤツの狩りは失敗に終わった。これはヴァンパイアにとってはかなり不名誉なことだ。いずれ挽回しにやってくる。それが明日か明後日か、はたまた十年後かそれは僕にはわからない。なんせ、ヴァンパイアは気まぐれだからな。だが、必ずヤツはもう一度君の前に現れるのは分かっていた。だから記憶をなくす代わりに監視するように取引をした」
「それがあなたの言っていた約束ね。そしてあなたがここへ来たってことは私の命に危険が迫っているってこと」
きっと愁は何かを感じ取って一希に連絡したのだろう。
そして一希はやってきた。クラスメイトとして。
「君には悪いと思っている。いろいろと不快な思いをさせた」
「謝ってくれるならいいわ」
にこりと笑った。
「えーと、話の内容からしてあの男がここにきていると考えていいのかしら」
そう口にしてみるが浅緋に思い当たる節はない。
今日三人の男たちに追いかけられたが、それが初めての危険だ。
「それは今調査中。でもお前が何者かに狙われているのは確かだ。それは今日身をもって実感したはずだ。」
浅緋はこくりと頷いた。
「お前自身何か感じることはないのか? 誰かに見られているとか、付けられているとか」
うーん、と浅緋は考え込んだ。
一つずつ身の回りにで起こっていることをリストアップする。
「最近身の回りで起こっていることは、今日男の人に追われたことと、学校で起こっている動物事件くらいかな。あとは隣町であった殺人事件くらいね」
指を折って数えてみると今までの平穏な日常とは離れてしまっていることがよく分かった。
危険が迫っていると具体的に示された気分だ。
「学校の事件とヴァンパイアって関係あると思う? だって血を抜かれてるんでしょ。ニュースの事件だって」
人間と動物という違いはあれど、血を抜かれていたという大きな共通点がある。
ヴァンパイアが関わっているなら、この二つの事件が全くの無関係だとは思えない。
「僕には何も言えない。実際に死体を見たわけでもないからね」
すぐに結論へ持って意向とする浅緋より、一希はずっと冷静だった。
浅緋はなんだか気落ちして、肩を下ろした。
「そうだよね。ねぇ、さっきの人たちはどうして私を狙ったんだろう。これも何か関係あるのかな?」
男たちは浅緋に用があると言っていた。
だが浅緋にはそんな輩に狙われるような理由に心当たりはなかった。
「あの人たちあのまま返してよかったの? ヴァンパイアだってこと秘密なんでしょ。それに警察にだって届けてないし」
「警察に言うのはできるだけ避けたい。いろいろ面倒だからな。それにあいつらなら大丈夫だろう。仮に話したとしてもヴァンパイアに襲われたなんて誰も信じないさ」
確かに非常識ではある。
きっと自分もあの場にいなければきっと信じてなどいなかった。
「あの男との関係は?」
「いや、それはない。ヤツならこんなまどろっこしいやり方はしない。直接お前を狙ってくる」
浅緋の顔が暗くなった。
いつかあの男とまた会うときが来るのだろうか。
もしそのときが来たら自分は今度も助かることができるだろうか。
「安心しろ」
ずっと黙っていた愁が浅緋の手を握り返した。強く握り締める。ゴツゴツした男らしい手が頼もしく感じた。
あの時の愁とは全然違う手。だが、変わらぬ温かさがそこにはあった。
「お前は俺が守る。今度こそ」
力強い言葉と真っ直ぐに見つめる瞳に浅緋はわずかに頬を高潮させた。
トクンと心臓が高鳴った。
今までずっと無視していた感情が殻を破って溢れ出す。
同時に力もわいてくる。
一希を見ると同意するように大きく頷いた。
(この人たちがいればきっと大丈夫)
そんな気がする。
「うん。ありがとう」
浅緋は笑顔で返した。
「しかし、お前も趣味が悪いぜ。俺が追いかけるのわかってあの路地に入ったんだろ。わざわざ赤いペンキまで用意してよ」
愁がじと目で一希を見る。
「ペンキは偶然だ。だが、あの男たちはいい演出になった」
ニッと一希は笑った。
あれも一希の手によるものだったらかなり趣味が悪い。あの時は本当に怖かったのだ。
「浅緋の記憶は催眠術みたいなもので忘れさせているからな。思い出すのにはあの時の状況を再現するのが一番手っ取り早い。あいつらが追ってこなくても実行するつもりだったし、何よりお前は絶対追ってくると信じていたからな。よかったじゃないか。結果オーライってヤツだ」
愁は何も言えなかった。その代わり「んー」と唸る。この二人の絆は思っていたよりも深いらしい。
浅緋は笑った。
こんな関係がいつまでも続いてほしいと心から願った。
* * *
暗い部屋の中、机の電気スタンドだけをつけて手を組んでいる人影がある。
時折机に爪を立てたり、トントンと叩いたりする。
人影はひどくイラついているように見えた。
頭に浮かぶのは一緒に下校する浅緋と一希の姿。
なかなか自分のものにならない焦りに苛立ちが積もる。
食事の際何気なくつけていたテレビがニュースに変わり、最近世間をにぎわせている変死体の事件を取り上げていた。
連鎖的に学校に放置させられていた動物の死骸を思い出す。
ある名案が浮かんだ。
早々に食事を片付けると部屋に戻り紙とペンを取り出す。
少し悩んだ後ペンを置き、新聞とはさみとのりを持ってきた。
必要な文字を四角く切り出しのりで貼っていく。そしていびつな四角い文字が羅列した文章が出来上がった。
人影は出来上がりを見て満足そうに笑みを作ると、それを鞄に忍ばせた。