さまよう影(1)




 次の日、浅緋はいつものように愁と久成の三人で登校していた。
 夕べはいろいろなことが分かって本当は考えることがたくさんあるはずなのに、なぜかぐっすりと眠ってしまった。
 そして見た夢はあの日の夢。
 しかし今までのように怖いとは思わなかった。
 今の朝日には全てのことが分かっている。あの男の子が誰なのかも。
 はっきりと自分を助けてくれる愁の背中が見えた。それは昨日助けてくれた背中に重なる。
 その背中が振り返った。今までにはなかったことだ。
 その表情は笑顔で、浅緋は不思議な安心感に包まれた。
 目覚めた時、浅緋はとても幸せな気分だった。
 そして気付いた。自分の中で愁の存在意義が変わっていることに。
 そのことに戸惑いと気恥ずかしさを感じなからも、それ以上に愛しさが募る。
 浅緋はいつもより少し念入りに身支度を整えてから出かけた。

「おはよう」

 毎朝言っている言葉なのに、緊張のせいか少し声がかすれていた。
 様子の違う浅緋に片山兄弟はそろって首を傾げた。
 愁と久成の三人で歩いていると、昨日と同じように後ろから声を掛けられる。

「おはよう、浅緋」

「おはよう、藤宮くん」

「うっす!」

 浅緋は明るく挨拶を返した。愁も片手を挙げて一希を迎え入れる。
 なんだか今までと違った雰囲気に久成が眉根を寄せる。

「いつの間にそんな仲良くなってるの?」

 二人の頬にはそれぞれ特大の湿布が張られていた。
 それに対して二人は「ちょっとな」と、引きつった笑いで誤魔化した。
 ここに来るまでに昨日男たちに絡まれた話はした。だが、過去の話をしたことは話していない。
 ヴァンパイアであることはできるだけ隠しておきたいという一希の意見と、余計な心配をさせたくないという愁の弟思いからであった。
 浅緋もそれは賛成だったので、三人で口裏を合わせることにしたのだ。
 久成は眉を顰めたが、すぐに話題を変えてきた。今日の興味は別のところにあるらしい。

「ところでもうすぐ学校だけど、今日もあると思う?」

 久成が言わんとしてることを察して全員の顔色が曇った。
 二日連続して動物の死骸が学校に放置されていた。二度あることは三度ある。今日もあったとしても不思議ではない。
 しかし、あってほしいと期待するものでもない。

「さぁな、行って見ないとわかんねぇよ」

「でも、危険だろ。怪しいやつが近くにいるかもしれない」

 久成が当たりを見回す。

「久成」

 愁が真面目な顔をして弟を見た。
 久成は神妙な面持ちで次の言葉を待つ。

「お前、怖いのか?」

「なっ」

 その言葉に久成は顔を真っ赤にした。
 一瞬まともなことを言われるのではないかと期待した自分が恥ずかしい。

「ち、違う! ただ俺は浅緋を心配して・・・」

 そこまで言って慌てて久成は口を押さえた。
 勢いに任せてつい口走ってしまった。
 浅緋を見ると一希と話している。
 ムッとするも、今の会話を聞かれていないことにホッとした。
 だが、本当は浅緋の耳にもちゃんと届いていた。
 今の浅緋には久成の自分に対しての想いがよく分かった。

(いつまでもこのままじゃいられないんだ)

 時間は確実に流れている。
 愁を見るとパチリと目が合った。
 一瞬心臓が跳ね上がり、浅緋は慌てて目を離した。そんな浅緋を愁は意外そうに見つめていた。
 学校に着くと予想に反して人だかりはなく、いつもと変わらない日常があった。
 昨日まであった人だかりもない。

「なーんか拍子抜けだな」

 肩透かしを食らった気分だ。
 愁はそう言っていたが、内心ホッとしている。それは他の三人もまた生徒たちも同様だった。
 校舎に近づくと、渡り廊下のところに見知った人物を見つけた。
 小夜だ。
 彼女はちょうど玄関から教室の方へと向かうところだった。
 小夜はこちらに気が付いたときひどく驚いたようだったが、そのまま何も言わず姿を消した。険しい表情が少し気になる。

「お前ら喧嘩でもしたのか?」

 愁が尋ねてくる。浅緋は曖昧に笑った。

「あはは。でも大丈夫。すぐ元に戻れるよ。だって友達だもん」

 小夜が浅緋を避ける理由は一希が浅緋に構うからだった。だが、それは浅緋を見守るためであって、恋とかそんな類の感情ではない。
 一希が小夜をどう思っているかわからないが、それは浅緋の触れるていいところではないことは分かっていた。
 ふとある不安が浅緋の胸にシミをつけた。それは紙に落ちた一滴の墨のような小さなもの。しかし、それは徐々に面積を広めていく。

(愁くんは私のことどう思っているんだろう)

 嫌われてはいないと思うが、今まで隣で笑ってくれたこと、守ってくれたことが全て是罪悪感から来るものだとしたら・・・。それが愁の行動、さらには気持ちまで縛ってしまっていたら・・・。

(私はただのお荷物じゃない)

 そんなものになりたくないのに・・・。
 チクンと張り出さしたような痛みが胸を刺し、愁を見ることができなかった。
 靴箱に付くと先頭を歩いていた一希は恭しく膝を突き、ボーとしていた浅緋の前に上履きを差し出した。

「どうぞ。お姫様」

 その行動に周りの生徒が目を見張る。

「何、急に」

 浅緋も動揺して靴と一希の顔を交互に見やる。愁も久成も口を開けてみている。
 それらを気にも留めず、一希は言った。

「やってみたかっただけだよ」

「そうじゃなくて」

 巷では執事やらメイドが流行っているが、学校でされるものではない。
 かといって、一度差し出されたものを押し返すわけにも行かないので、視線をひしひしと感じながらも浅緋は受け取った。
 教室に入ると、さすがに転校当日ほどではないが、一希の周りにはすぐに女生徒に囲まれることになった。
 昨日の話の後、浅緋はある質問をしていた。どうしても気になることがあったのだ。
 それは下校の際、一希を見ている女性が多いことに疑問を感じた浅緋に対しての答え。「そういう風にできている」と彼は言った。
 あの時ははぐらかされてしまったが、今度はちゃんと答えてくれた。

「本来ヴァンパイアは人の生き血を吸う生き物だ。とくに若い女と子供を好む。だが考えてみろ。浅緋だったら襲われると分かっている相手に近づくか?」

 答えはもちろんノーだ。
 自分から血を吸われに行くなんて自虐的行為の何物でもない。

「ヴァンパイアが人より容姿が美しいのは人を魅了し、引き寄せるため。簡単に言ってしまえば植物と一緒だな。いかに美しく咲き、虫を誘い出せるかが重要なんだ。ただし、普通の花と違って、こっちは性質が悪いけどね。試してみる?」

 そう言って一希は妖艶に微笑んだ。
 浅緋は真っ赤になって勢いよく首を振った。その微笑だけで十分理解できた。
 一希は「残念」と笑っていた。
 しかし今日はこれまでとは違い、一希が主に質問をしていた。
 昨日の件で浅緋が狙われているのは分かった。問題は主犯は誰かということだ。
 浅緋の周りで起きている事件。狭い範囲で偶発的にこれだけの事件が起こることは考えにくい。この中のどれかが連鎖的に関わっている可能性は大きいだろう。まずは一番分かりやすそうな事件から取り込むことにしたのだ。
 捜査の基本は情報集め。どの刑事ドラマでもやっていることだが、やはり基本はコレだ。
 一希はその収集法として、自分に群がる少女たちを選んだ。

「保険医の佐藤ってどう思う」

「佐藤先生?」

 唐突な質問に女子生徒は、一希と話したいがために律儀に答えた。

「そうだなぁ。優しくていい先生だと思うよ」

「うん。お腹痛いって言ったら薬もくれたし、休ませてくれたし」

 どうやら生徒の評判は悪くなさそうだ。ここまでは噂で聞いていた通り。

「今年新しく来た先生だって聞いたけど」

「そうよ。そういえば、江原先生の高校の後輩だったらしいわ」

 とある生徒が言った言葉に一希は耳を傾けた。

「江原ってウチの担任の?」

「ええ。新任で来た佐藤先生見て驚いてたわ。何でも昔よく世話をしてあげたとか」

「他に佐藤先生について気付いたことは?」

「そうねぇ」

 女生徒たちは考え込んだ。そして一人の生徒が「あっ」と手を挙げる。

「そういえば、最近行動がおかしいわね。何かにおどおど怯えてるみたいな」

「怯えてる?」

「私は保健室で誰かと口論しているのを聞いたよ。誰かは分からないけど」

「口論・・・」

 一希は考えを巡らした。
 彼の考えでは、校内に動物の死骸を置いたのは十中八九佐藤だと考えていた。
 しかし、そう気付いたのは血の匂いだけで、確たる証拠は何もない。
 何せこの学校自体血生臭いのだ。普通の人間なら気付かない程度だろうが、ヴァンパイアの一希にはわかってしまう。
 なので、佐藤に対してもいまいち確信を持てないでいた。
 昨日の男たちの携帯をいじってみたが証拠はなしだ。連絡専用の物だったらしく、メールは全て消去され手掛かりすら得ることができなかった。
 この件でわかったのは犯行が突発的なものではなく、計画的に行われたことだ。そうでなけらば連絡用の携帯を用意したりできない。
 計画的だということからじわじわと学校に圧力をかけている動物の事件も同一犯の犯行だと考えることができる。さらにこの 事件は動物の血が抜かれていることから先日遺体が見つかった『女子高生・吸血鬼殺人事件』にも連想することができた。
 少しでも佐藤の素性を探ろうとこうして女生徒たちに聞いていたのだが、どうも事情が変わってきている。

(怯え、口論。どういうことなんだ)

 新たな情報が入ったのはよかったが、かえって混乱してきた気がする。だが、全てのパーツが揃ってない今、一つの情報として頭に留めておく。

(とにかく、もう少し注意しておかないと)

 今は動物で済んでいるが、いつその手が人に向かうか分からない。
 何を目的としているかは明確にはわかっていないが、一希にはその触手がある人物に向いている気がしてならなかった。
 ふと、隣の席の浅緋を見る。
 彼女は友達の生徒と話しているところだった。
 自分の正体を知っても彼女は変わらず笑顔を向けてくれた。それは一希にとって何物にも変えがたい。

(だからそれを守るためにできるだけのことをしよう)

 そう一希は心に決めた。